鹿児島 知覧 特攻平和記念会館

ずっと気になっていた場所だったんです

鹿児島県の最南端の特攻基地です

第二次世界大戦も終わろうとしていた頃、ここから尊い命が飛び立ち亡くなりました

1944年10月フィリピン戦線にて初めて人間が乗った航空機に爆弾を乗せて敵艦に突撃する

「神風特別特攻隊敷島隊」です。戦争中にその特攻隊にて亡くなった人は4000人にのぼるそうです

特攻作戦には、九州各地で行われていましたが半分ほどがここ知覧から散華されました

鹿児島空港から車で1時間ほど走ったところにあります

平和会館に行く道にはたくさんの桜が植わっており、長距離の道に灯篭が並んでいました。

17歳から30歳までの若い優秀な戦士が選ばれてここから飛び立ち、帰らぬ人となりました。

平均すると22歳ぐらだそうです。その人達が最後の言葉を残していますが

まず驚くのが、字体です。多くの方が筆で立派な字でしたためています。

そして、またまた関心するのが文章力。こんな難しい言葉をさらさらとよく書けたものだと。。。

そして読んで行くうちに、内容が素晴らしいです。

本心ではなかろうが

皆、誰を恨むことでもなくいさぎよく自分の命を捧げる覚悟を持っていたことを思うと、敬服いたします。

あと、数ヶ月で終戦だったことを考えると余計に悔しくて憤りを隠せません

永遠に安らかにお眠りくださいと祈るばかりです

そして、ありがとうございましたと言いたいです。

ここは、特攻隊員たちが出撃するまで寝起きしていた三角兵宿舎です。(復元)

ここで隊員たちは、遺書を書いたそうです。

安部正也さん21歳 福岡県古賀市出身の方の手紙です

愉々(いよいよ)突撃です 必ずやります

必死必沈悠久の大義に生きん

死し亦(また)生に通ず死また楽しからずや

命(めい)降る今ぞこの身を捧ぐれば 皇国は永久に栄えまつらん

色々とお世話になりました。厚く御礼申し上げます ご奮斗を祈ります

男子の本懐之に過ぐるはなし 正也は幸せ者です 必勝を信ず 天皇陛下萬歳

昭和20年5月4日 陸軍少尉 安部正也

戦争は、誰も幸せにしません!絶対にしてはなりません!

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夏越の祓(なごしのはらえ)

6月30日は、「夏越」と言います。半年後の12月31日は「年越」ですよね

この日は、茅の輪をくぐって今年半年間の罪穢れを清め、残り半年の無病息災を祈ります。

茅の輪の由来は、日本の各地に昔から伝わる説話が元になっています。

昔、北海にいた男神が南海の女神に求婚するために竜宮城に向かいました。

途中で日が暮れ、一夜の宿を借りようと村を歩いていました。

巨丹将来(きょたんしょうらい)という裕福な家を訪ねた所「うちは貧乏なので」と嘘を付かれ

断られてしまいました。その後、巨丹将来の兄である貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)の家を訪ねました。

蘇民将来は、泊めてあげて丁重におもてなしをしました。

8年後、男神はまた蘇民将来の家に泊まりました、その時に茅の輪を腰につけておきなさい

と蘇民将来に渡しました。その時、「私は須佐之男命である。今後世の中に疫病が流行れば、

お前たちは蘇民将来のの子孫だと言えば難を逃れられるようになると言って去って行きました。

その男神は、「牛頭天王」という神様だったのです。

蘇民将来と巨丹の物語は「備後風土記」や「参宮名所図絵」に残っておりそれにはスサノオノミコトが

蘇民将来の家に泊まったという事になっています

6月になると各地の神社に大きな茅の輪があり、人がその輪を八の字に回り、無病息災、疫病退散を願います。

今、まさに新型コロナの退散を願いたいところですね。

回る時に気をつけることがあります。

回る回数を数えてくれぐれも目が回らないようにしてしょうらい

これは、今年の6月に撮影された宮崎県日南市にある鵜戸神宮の茅の輪です

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