興福寺

奈良県にある興福寺に阿修羅像を見に行って来ました
以前、上野の東京博物館で拝見し、とても感銘を受けたので
あの感動をもう一度味わいたかったのです
興福寺には奈良駅から歩いて7、8分で行けます
参道で雨宿りをしている猫がいました
人懐っこくてあまりにも至近距離に来てカメラにスリスリしてくるので撮影ができませんでした
奈良ならではの、お店が並んでいました
余談ですが、奈良漬をたくさん食べてから運転するとアルコール反応が出て
酒気帯び運転になる事があるそうですよ!
五重塔と並ぶ東金堂です

阿修羅像は以前ガラスケースで展示されていたそうですが
現在はオープン展示となり1メートルくらい近くで拝見できました!

阿修羅像は、 三面六臂(さんめんろっぴ)といい3つの顔と6本の腕があります
2本の手は合掌し、あとの2本は空に捧げています
現在は何も持っていませんが本来はこの手は日輪と月輪を持っていたそうです
中央の顔は眉根を寄せて、まっすぐ正面を見据え、ユニセックスなおもむきです
向かって右の顔は、眉間に皺を寄せて下唇を噛んでいます
ちなみにモデルは聖武天皇と光明皇后の娘、阿部内親王(16歳)だそうです
やっぱり、素晴らしかったです


※実際は、撮影禁止のためハガキの写真です↑
東金堂で御朱印を頂きました(書いている所を許可頂き、撮影)
京都の観光名所と違ってあまり観光客がわんさか居ない もの静かな印象な奈良でした
京都よりもさらに古い歴史の都である貫禄でしょうか。。。

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報恩講 (千葉県 松戸 天真寺にて)

報恩講に行って参りました
京都の友人が上京してお参りするというので、私もご一緒させて頂きました
初めての報恩講(なぜかと言いますと私の実家が真言宗だからです)
浄土真宗の開祖である親鸞聖人(1173~1262)の命日の前後に営む法要です
あいにくの天候にもかかわらず、とても大勢の方がいらっしゃっていました

最初に雅楽演奏がはじまり、厳粛な雰囲気になりました
神楽舞が始まる
その後、雅楽を盛り込んだお経の熱唱!すばらしい!
まんなかにおられる方がここのご住職です
そして、広島からおみえになったご住職より講義がありました
その中に1000日修行がどれだけ厳しいものかの具体的な説明もあり
とても興味深く拝聴させていただきました

なんと、修行は1日も休んではいけないそうで
やり遂げられない場合にその場で自害をするため、短刀を所持するとの事(切腹)
改めて、1000日修行を終えてなれる「阿闍梨」を尊敬!
けれど、まず次から次へと心配事が起きる 日々、生きている事が修行ですよね

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茶壷 

炉開きには、新茶をのみますが
抹茶の粉にする前の葉茶の事を碾茶(てんちゃ)と言います
その碾茶をいれておく壷が茶壷です

壷の口を切って開けるので「口切り」と言います
口切りの茶事では、床の間に壷を飾ります

三方向に紐を結びますが 結び方には、真、行、草 とあります
 ↑ 真(一番難しい結び)難易度★★★★★

↑ 行(ちょっとだけ難しい)難易度★★★
 ↑ 草(行ができたら、簡単)難易度★★

お稽古では、この3つの結び方もお勉強いたしますが
細かく結び方が決まっていますので難しいですね
生徒さんが必死に結んでいる顔を見ているとみなさん口がとがっています(笑)(すみません

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炉開き

11月の「炉開き」は茶人のお正月と言われ
八十八夜につまれた新茶を旧暦の亥の日に祝って飲む行事をいたします。
亥の日は、陰陽五行の中の「水」となり、火に対するものなので
一年の火の用心を祈るためです
風炉から炉に変わる初日を「炉開き」といいます

炉開きには「三べ(さんべ)」
「織部(おりべ)」「伊部(いべ)」「瓢ふくべ」を使うといいと言いますが
これは、密教の曼荼羅(まんだら)で
仏部、蓮華部、金剛部と分かれ三部構成になっている事にちなんでいると言われています

昔の茶人は、今の様な冷却装置(冷蔵庫)がなかったので
1年間常温のまま使っていましたので
今月飲める新茶をとても楽しみにされていたにちがいありません
又、木造家屋での火の元にも大層気を配る。
「炉開き」の伝統を知ると、昔の茶人の思いが伝わってくるようです
※茶花 花=椿(西王母)→※本当はつぼみが望ましいです 枝=土佐水木

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今週の和菓子 木守柿(きまもりがき)

ここのところ急に冷え込み、気が付くと晩秋となっております
秋の澄んだ空気の中、風が通り抜けても雨が落ちてきても
それが体に当たると清められていくような感覚を覚えます
(※あくまでも個人の感想です)通販おなじみ(笑)
今週のお菓子は「木守柿」(きまもりがき)

「木守柿」とは柿の木に一つだけ残された柿の事です
来年の豊穣の祈りであったり、柿の木を守るためだったりするようです
利休が長次郎の作った赤楽茶碗に「木守」と名付けた所以にもなっていますね

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